過ぎ去りし思いの中に...鹿島小の桜2009

 蔵出しです<m(_ _)m> 今年のはまだフイルムが撮り切ってなくて(^^ゞ

 昨年は晴天の中、清々しくやさしい風にそよいでいた...

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 春になるといろんなものが顔を出す...

 

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 こっち(反対側?)にも消火栓があったのも初めて知ったw

 

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 付け替え国道が通る先の丘には幼稚園跡が残る...

 

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 この滑り台を初めて見つけた時は泣きそうになった...真夏、背丈以上の籔を掻き分けながら(^_^;)

 

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 眠りつづけているようだ...

 

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 グランドの桜...往時のまま咲き続けている...背景に夕張岳が映える情景は永遠だ。

 

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 この椅子も初めて見つけた...そこに存在していること、ただただ記録に残す...いろんな思いが込み上げる...

 

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 桜は変わらずに花をつける...

 

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 永遠に!

 

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 思い出をありがとう。

 

 OLYMPUS E-620 + LEICA D SUMMILUX 25mm F1.4 ASPH.(松下さんちのずみるっくす)

 撮影:2009年5月16日

10 Comments

  1. 摩耶 より:

    消火栓、滑り台、椅子の枠・・・、胸にくるものがあります。
    彼らの無言の声が聞こえてきそう。

    本部長さんの写真って「にんべん」な気がします。
    夕張に限らず、↓のまるやまいちばでも二宮金次郎像、美瑛、街撮りでも。
    写真のこと、よく分からないので上手く言えませんが、やはり にんべんなんです。
    撮り手の心が表れているのでしょうね。

    • 本部長 より:

      摩耶さん、「にんべん」、ありがとうございます(老舗の鰹節屋じゃなくって^^)。
      個人的にはポートレート写真を撮るときが一番楽しく緊張するので、
      人がいなくても、また意識しなくても撮り方がポートレートなのかもしれません(謎)
      もっとも気持ちの入れ方や思い入れがそうさせているのかもしれないし、
      そういうスタイルの写真が好きでやっていると思います。
      やはり人というものを如何に写していくかが永遠のテーマですね☆

  2. Rufard より:

    錆びた滑り台にイス。
    ここに建物があって、毎年春になると桜が咲いて、それを見上げていた人たちがいたという紛れもない証拠ですよね。

    • 本部長 より:

      Rufardさん、往時は果たしてどれだけ賑やかであったか...子供たちの楽しかった日々が偲ばれます。
      町としてはもちろんですが、此処は自然も美しい環境なので子供たちが見て来たものは尊いものだったことでしょう。
      そして自分が見て来たものをそこに写し合わせながらシャッターを押しこみます。
      懐かしさを伴いながら...

  3. beni より:

    あ、鹿島桜まだ蔵の中に眠っていたんですね(´∀` )
    昨年の桜はキレイだったよなあ。今年のと比べると、全然花のボリュームが違いますもの。
    今年は今年の良さがありますけど・・・葉っぱ多くて難しかった。花の色が出ない(´゚ω゚`)
    本部長さんが朝撮り終わった後に私撮りに行ったんですが、
    もう桜吹雪がすごくって、桜舞い散る中撮るのがステキでした(笑)

    来年も鹿島桜に会えるといいですね。

    • 本部長 より:

      beniさん、去年の鹿島小、福寿草とかまだまだ眠っております<m(_ _)m>
      今年の桜は一瞬しか見れなかったですが、花の形とか色つやが良くてそんなところを意識して切り撮りました!
      まぁ、去年のは初めて見たこともあって撮りながらも愛でて嬉しい気持ちもありましたしね^^
      桜吹雪ですか~ その風が過ぎる瞬間を肌で感じながら...シャッター切るの忘れそうです^^;

      来年というか、永遠であってほしいですね、桜は。
      過去現在未来と人の心に残り、目で見て愉しませ、そして想像を掻き立てる桜、思い出も永遠に。

      脚立よりもっと高い位置から写したい...

  4. ベチ より:

    ご無沙汰しております。

    遠い過去・・、全てを包み込むような温かい視線に感動しております。

    私の古里には、かつて此処に生活の場が有ったという痕跡が悲しいかな残っておりません(そのほうが良いのかな)。
    六軒長屋と四軒長屋が向い合い、中央には共同の炊事場が有り、夏にはスイカやカンロを冷やし、秋には漬物用の大根を洗い、母親達の井戸端会議場だったんですが今見てみるとよくもこんな狭い土地にと・・。でもね先日通りかかったら綺麗な桜が咲いていたんですよ、・・複雑な思いでしたが直ぐに感謝の気持ちに変わりましたよ、“ありがとう”って。
    その足で夕張に向かいダメモトで訊いてみると当日受付OKとの事、最終日に植樹出来ました(嬉)。それも当時は炭住が有ったんだろうなと思われるエリアでした。
    荒んでしまって何もないだろうけど住んでいた所をもう一度胸に焼き付けておきたいと、古里を懐かしく想い訪れた人々の目に映る桜、きっと何かしらのメッセージを受け取ると思います。

    来年の桜シーズンは本部長さんのような気持ちのこもった写真を撮りたいものです。

    • 本部長 より:

      ベチさん、お久しぶりです。

      > 遠い過去・・、全てを包み込むような温かい視線に感動しております。
      ありがとうございます。
      この地に来ると不思議なノスタルジーに駆られ幼き日の思い出を探すかのような感覚に陥ります。
      自ずと無垢な子供の目に戻っていると云いますか...

      ベチさんの故郷、痕跡がなくなってしまったのですね。
      たしかに自分はまだ全く困ったくらいに残っているので、なくなるということを想像することしかできないのですが、
      様々な思いの詰まった場所を喪失するというのは過去から何も了承なしに引き離されてしまうことなのかと思います。
      記憶をたどる形跡があれば、きっと思い出の情景をすぐに引き出せるのでしょうが、
      ないというのは手探りのしようがない、不安な気持ちに置かれてしまうのだろうと。
      しかし、人工物が何もなくなってしまったのに、そこに桜が咲いたことによって、過去への回路が、
      僅かでもつないでくれる手掛かりが存在してくれたのではないでしょうか。
      それが「ありがとう」という感謝なのだと、勝手に理解しましたが、NGですかね(^_^;)

      それゆえ、ベチさんの植樹というのも思い入れが深いのではないでしょうか。
      まさに痕跡がなくなった故郷と、かつて炭住があったんだろうエリアがオーバーラップし、
      かつてその地に住んでいた人の目に映る桜は、まさにベチさんが故郷で見た桜と同様に
      時空と思い出をつないでくれる架け橋になるのではないでしょうか!

      桜は思い入れだけが空回りするかのごとく写しているだけかもしれませんよ、自分は^^

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